2011年9月27日火曜日

細石刃文化の地域性

 出典:日本の歴史①日本史誕生・佐々木高明著・集英社
    日本史誕生:51~54頁
    第1章 日本列島の旧石器時代
    4 細石刃文化の展開

 《細石刃文化の地域性

 しかし、関東地方や中部地方南部より西の西日本の地域には、

 前にも述べたように、クサビ形細石核ではなく、

 円錐形または角柱状の細石核から細石刃をつくる文化がひろく分布していた(図11)。

 そこでは、さきの矢出川遺跡の例にみられたように、ナイフ形石器を使う

 伝統がかなり後まで残っていたが、彫器(荒屋型を含め)の使用はほにとんどみられず、

 石器の組み合わせが比較的単純だという特色がみとめられる。

 また、石器のつくり方などにも、

 前代のナイフ形石器文化の伝統をうけついだと思われる点が少なくないという。

 このような事実にもとづいて、

 岡山大学の稲田孝司氏は

 「関東地方以西の旧石器時代人は、細石刃をとりつける新式槍の着想はうけいれたけれども、

  細石刃の製法や石器の種類のとり合わせは、

  自分たちの伝統にもとづいて決定したといえよう」と述べている。

 東北日本では新しい細石刃文化が古いナイフ形石器文化にとってかわったのに対し、

 西日本では古い在来の文化が新しい外来の文化をうけいれて、

 在来文化の伝統を変容せしめていったといえそうである。

 では、なぜこのような文化の地域差が生じたのか。

 その理由を解き明かすことはなかなかむずかしい。

 が、先史時代の自然環境の変化と文化の関係を追いつづけてきた

 国際日本文化研究センターの安田喜憲氏は、

 この点について、一つの興味ある仮説を提出している。

 それは次のようなものだ。

 約一万三○○○年前ごろ以降、日本海の海況がしだいに変化し、

 対馬暖流がそのころから間欠的に流入してくるようになる。

 すると海水温が上昇し、

 とくに冬には冷たい季節風の空気と海水との間に温度差が生じ、

 蒸発がさかんになり、雪雲ができて日本海沿岸に多雪をもたらす。

 その結果、日木海沿岸の地方では、

 氷河時代にみられた大陸的な寒冷で乾燥した気候がゆるみ、

 針葉樹の疎林や草原にかわって、ブナやナラの森林が拡大するようになる。

 これに対し、太平洋岸を中心とした関東地方より西の地方では、

 氷河時代以来の寒冷で比較的乾燥した気候がその後もつづき、

 疎林と草原が交錯する景観がみられた。

 前代のナイフ形石器文化の伝統を強く残していた西日本の細石刃文化は、

 このような後期旧石器時代の気候に近い寒冷で乾燥した環境を

 生活の舞台としていたわけである。

 それに対し、クサビ形細石核と荒屋型彫器をもち、

 ナイフ形石器をもたない東日本の細石刃文化は、

 前述のように、シべリアに文化的系譜をもつ新しく渡来した文化だが、

 それは晩氷期になって新たに出現した、湿潤で雪が多く、

 ブナやナラの森林のひろがる環境に適応したものだというのである。

 この新しい文化が、具体的にどのように新しい環境に適応したか、

 安田氏はくわしくは述べていない。

 しかし、森林地帯における漁労活動や木の実(堅果類)の採集活動などが、

 大型哺乳類の狩猟にかわって、

 生業の中心になったことが重要ではないかと指摘している。

 この視点は大へん重要なポイントである。

 約一万三○○〇年前ごろの晩氷期以後、著しく変化してきた自然環境の中で、

 人々の生活様式もそれに応じて大きく変化したはずである。

 そのプロセスの中から、

 やがて旧石器時代から縄文時代への文化の変遷や交替が生まれてきたものと私も考えている。

 「縄文文化の誕生」という日本の歴史の中で、きわめて画期的な事件が、

 この晩氷期の気候変化への対応の中から徐々 に進行したものとみることができるのである。

 いったいその画期的な事件は、

 どのような内容をもって進行したのだろうか。

 縄文文化の誕生劇の進行を、われわれは改めて次章で追ってみることにしよう。

 《参考》

 旧石器時代の遺跡一覧

 【世界史年表1】宇宙誕生から紀元前まで

 『参考ブログ』

 「歴史徒然」
 「ウワイト(倭人)ウバイド」
 「ネット歴史塾」
 「古代史の画像」
 「ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言」
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