出典:日本の歴史①日本史誕生・佐々木高明著・集英社刊
日本史誕生:51~54頁
第1章 日本列島の旧石器時代
4 細石刃文化の展開
《シベリアからきた文化》
図13 は札幌大学の木村英明氏の
北海道の旧石器時代の石器の組み合わせについての資料を、
わかりやすく改めたものである。
北海道では三角山(千歳市)、嶋木(上士幌町)、樽岸(後志)など・
細石器を伴わない古いマンモス・ハンターの遺跡もあるが、
図をみてもわかるように、
北海道の旧石器時代の遺跡の大部分(四分の三余)は細石刃を出土するものである。
しかも、その細石刃文化の遺跡では、
石刃や掻器、削器などの一般的な狩猟用具や生活用具のほかに、
荒屋型の彫器が細石刃と一緒に出土する比率が大へん高い(約八〇バーセント)。
細石刃は、木や骨や角の軸に細い溝を刻み、
そこに埋め込んで使うことは前にも説明したとおりだが、
彫器はその溝を刻むための工具として用いられたに違いない。
さらに細石刃をはがしとる細石核については、いくつかの類型があるようだが、
北海道で出土する細石核のにとんどすべては、
クサビ形細石核として大きくまとめることができるという(図12)。
つまり、北海道の細石刃文化は、
クサビ形細石核を主体として荒屋型の彫器がそれに伴うという点に
顕著な特色がみとめられるのである。
しかも、この細石刃文化は、
一万五○○○~一万四○○○年既ど前にシベリアから北海道にもたらされ、
いっきにひろがったと想定されている。
その理由は、この種の細石刃文化は、古い時代にシベリアで生まれ、
やがて東方や南方に展開したと考えられているためである。
シべリア考古学にくわしい加藤晋平氏によると、
クサビ形細石核を用いる細石刃文化は、
ユーラシア大陸の中でも
シベリアから東アジア(モンゴル、中国北部、朝鮮半島、日本など)にかけての地域で
とくに発達したものだという。
しかも、日本列島のクサビ形細石核と関連をもつと考えられる細石刃文化には、
大別して、
シベリアのバイカル湖を中心としたグループ、
華北の黄河文化セン夕ーを中心としたグループ、
そして華南の西樵山を中心とL たグループの三つがある。
このうち黄河グループと西樵山グループの細石刃文化は、
後に述べるように、
北部九州や西日本の細石刃文化と何らかの関係を有することは確かなようだが、
日本列島に展開した細石刃文化の源流として、
もっとも重要だと考えられるのは第一のバイカル湖グループのようである。
なかでもクサビ形細石核と
荒屋型彫器(シべりアでは同種の彫器を
「ヴェルホレンスク型彫器」とよんでいる)の両者が、
つねにセットになっているといらユニークな細石刃文化は、
バイカル湖周辺に起源したものと推定されている。
最近のソ連の考古学者たちのくわしい研究によると、一二万~二万年前ごろに、
この文化はバイカル湖辺に出現したが、その後、東方や南方へひろがった。
その中にはべーリンゲ崩映をこえてアラスカへ向かったものもあるが、
東へ向かったものの一部はサハリンをへて北海道にまで達したと推定されている。
前ページの図14 は、その関係をわかりやすく示したものである。
いずれにしても、北海道にまで達したこのクサビ形細石核に荒屋型彫器を伴う文化は、
北海道からさらに津軽海峡をこえて東北日本にひろがり、
少なくとも一万三〇○○年前ごろまでには新潟県の荒屋遺跡のあたり、
つまり中部地方北部にまで達したことは臣ぼ間違いない。
しかも、この細石刃文化の影響は大へん強かったようで、
東北日本では、それ以前のナイフ形石器文化の伝統が消滅してしまっている。
そこでは新しい細石刃文化が、古いナイフ形石器文化にとってかわったと考えてもよいようである。
なお、この種のシベリアからきた細石刃文化の痕跡は、最近の情報によると、
関東地方の一部やさらに西方の岡山県北部の
中国山地(たとえば上斎原村恩原遺跡)でも発見されている。
「図13」北海道の旧石器時代の石器の組台せ
資料は「北海道のおもな先土器時代の過跡にみられる石器の組合せ」
(木村英明、1985による。)
もとの資科は遺跡ごとに石器の組合せを示しているが全体に集十して図化した。
「図14」細石刃文化の拡散と伝播
(加藤晋平1986 により改変)
《参考》
旧石器時代の遺跡一覧
【世界史年表1】宇宙誕生から紀元前まで
『参考ブログ』
「歴史徒然」
「ウワイト(倭人)ウバイド」
「ネット歴史塾」
「古代史の画像」
「ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言」
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