出典:日本の歴史①日本史誕生・佐々木高明著・集英社刊
日本史誕生:39~40頁
第1章 日本列島の旧石器時代
2 氷河時代の世界と日本
《日本旧石器時代の三期区分》
私はいま、野尻湖文化の年代を「後期旧石器時代の初期から中期」と表現した。
これはその年代がちょうどヨーロッパやシべリア、中国などで用いられている
「後期旧石器時代」の初、中期に当たると考えたからである(表1 先史時代年表参照)。
そのこと自体は間違ってはいない。
しかし、日本の考古学者たちは大へん慎重で、
ヨーロッパやシべリアや中国などで用いられる旧石器時代の時代区分を、
そのまま日本に適用してよいか否かについて結論を保留している人が多い。
確かに問題はいろいろあるようで、
むしろ日本の旧石器時代をⅠ期~Ⅲ期に区分しようとする
国学院大学の小林達雄氏らの区分法が、
現在では大方の支持を得ているようである。
その区分の大要は次のようである。
Ⅰ期は、三万年前ごろより以前の旧石器時代の古い時期をさす。
さきに最古の狩人の遺跡として紹介した
宮城県の座散乱木、馬場壇A、中峰Cなどの各遺跡の古層文化がⅠ期を代表するが、
小林氏は「定形的」、つまり柄をつけて使う石器がみられないことを
Ⅰ期の技術的特徴としている。
現在までのところ、Ⅰ期に属する遺跡はきわめて少なく、
この時期についての情報も乏しい。
したがって、このⅠ 期の時代的上限も定められていない。
そのためヨーロッパやシべリア、中国などの前期旧石器時代と
中期旧石器時代のすべてをいまのところはⅠ期に含むことになるが、
近い将来、この期の遺物や遺跡の発見がつづけば、
Ⅰ期をさらに細区分する必要が出てくるだろう。
Ⅱ期は、約三万年前から一万一二〇〇〇年前ごろまでをさす。
最終氷期の後半、ヨーロッパの後期旧石器時代にほぼ当たる時期といえる。
この時期には「石刃技法」という大へんすぐれた石器の製法が普及し、
ナイフ形石器をはじめ、尖頭器(ポイント)、削器(サイドスクレーパ)、彫器など、
「定形的な」石器が出現し、その種類が多様化した。
この時期以後は遺跡の数も増加し、
とくに武蔵野台地の立川ローム層とその中に含まれた遺跡や遺物の詳細な研究によって、
Ⅱ期の文化やその編年はかなりよくわかってきた。
そのくわしい紹介は次節で改めて行うことにしよう。
Ⅲ期はナイフ形石器が消滅し、
細石刃とよばれる新しいタイプの石器の登場によって特徴づけられる。
細石刃というのは長さ三~四センチ、幅数ミリ以下の小型の細長い石器で、
木や骨でつくった柄に細い溝を刻み、そこに並べてはめ込んで使ったものである。
この細石刃は世界的にみて、とくに中石器時代を特色づける石器とされているが、
日本列島では一万四〇〇〇年前~一万三〇〇〇年前ごろに急に出現し、
その文化は一万二〇〇〇年ごろまでつづいた。
この細石刃文化はシべリアのそれとよく類似し、
おそらく日本列島の北の玄関口から渡来したと考えられている。
しかも、細石刃文化の最終段階では土器が伴うようになり、
縄文時代草創期の文化につながってゆく。
そうした意味で細石刃文化は縄文文化の直接的な基礎を
形づくった重要な文化だということができるのである。
そのことについては、改めて、第4節でもう少しくわしく考えてみることにしよう。
「写真11」 野尻湖の「月と星」
野尻湖立ケ鼻遺跡第5 次調査(1973 年)の際に出土した
「月」(ナウマンダウの牙、長さ101cm )と
「星」(オオツノジカの掌状角、長さ58.4cm)とよばれる化石。
野尻湖発掘調査団
《参考》
【世界史年表1】宇宙誕生から紀元前まで
「写真12」野尻湖の発掘風景
1962年、
全国にひろく参加をよびかけてスタートした野尻湖の調査は、
多くの人びとの手で、これまで11回にわたって調査が行われている。
野尻湖発掘調査団
『参考ブログ』
「歴史徒然」
「ウワイト(倭人)ウバイド」
「ネット歴史塾」
「古代史の画像」
「ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言」
「オリエント歴史回廊(遷都)」
「歴史学講座『創世』うらわ塾」
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
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