2011年9月16日金曜日

最終氷期の海面低下

 出典:日本の歴史①日本史誕生・佐々木高明著・集英社
    日本史誕生:35~36頁
    第1章 日本列島の旧石器時代
    2 氷河時代の世界と日本

 《最終氷期の海面低下

 ところで、氷期の気候と関連してもう一つ注目すべき問題がある。

 それは氷期には海面が低下し、陸橋ができて、

 ある時期には日本列島は津軽海峡も宗谷海峡もなく、一つにつながっており、

 またアジア大陸とも直接つながっていた可能性があるということである。

 一般に、氷期には両極地方を中心に巨大な氷河が発達する。

 グリーンランドや南極大陸の大陸氷河(氷床)の中心部は、

 現在でも厚さ三〇〇〇メートル以上におよぶといわれており、

 ヴユルム氷期のスカンディナビアの氷床の中心は

 四〇〇〇メートルもの厚さを有していたと推定されている。

 このような巨大な氷河が陸地の三分の一ほどをおおっていたのだから、

 氷期には地球上の水分のかなりの量がそこに集中し、海水が減って海面が低下する。

 逆に、氷期が終わり、間氷期や後氷期に入ると、氷床の氷がとけ出して海水面が上がり、

 その結果、海岸線が陸地の内部へ入り込むようになる。

 この現象を「海進」(逆の現象は「海退」)とよぶが、

 後にその現象についてもふれることがあるので、記憶しておいていただきたい。

 ここで問題はヴユルム氷期の最盛期にどの程度の海面低下があったかである。

 湊正雄氏らは海底に残された谷地形の研究などから

 約一四〇メートルの海面低下があったとしている。

 しかし、海面低下はそれ臓どではなく一〇〇メートル前後だったとする人も少なくない。

 日本列島をとりまくおもな海峡の深さを考えると(表3)、その差は微妙で、

 湊氏らはヴユルム氷期の最盛期には朝鮮半島と陸橋で結ばれていたと考えている。

 これに対し、朝鮮海峡や津軽海峡に陸橋は存在しなかったとする説も少なくない。

 しかし、私は最終氷期に中国北部など、

 アジア大陸からの動物群の移動があったという事実からみて、

 ある時期に陸橋あるいは「氷の橋」で大陸と結び合わされていた可能性を考えている。

 この点に関係して、

 日本海海底の有孔虫や珪藻化石のくわしい研究を行った大場忠道氏らによると、

 日本海はかなり長い間、閉鎖的な状態だったと推定している。

 一万九〇〇〇年前ごろになると冷たい親潮津軽海峡から流入しはじめるが、

 南からの対馬海流の流入はそれよりおくれ、

 一万三〇〇〇年前ごろ以降になって日本海へ間欠的に流れ込むようになったという。

 朝鮮海峡は、やはり一時的に閉じられていた可能性が少なくないようである。

 「表3」現在の代表的な海峡深度>

 朝鮮海峡の最深部は、氷河期にはもう少し浅かったかもしれない。

 それが対馬海流が狭い海峡に流入するようになって侵食がすすみ、

 現在の水深になったとも考えられる。

 屋久島~奄美大島間 1000m

 朝鮮海峡       140m

 対馬海峡       120m       

 津軽海峡       140m

 宗谷海峡        60m

 間宮海峡        10m

 《参考》
 【世界史年表1】宇宙誕生から紀元前まで

 『参考ブログ』

 「歴史徒然」
 「ウワイト(倭人)ウバイド」
 「ネット歴史塾」
 「古代史の画像」
 「ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言」
 「オリエント歴史回廊(遷都)」
 「歴史学講座『創世』うらわ塾」
 「終日歴史徒然雑記」
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