2011年9月5日月曜日

「日本人」とは

 出典:日本の歴史①日本史誕生・佐々木高明著・集英社
    日本史誕生:11~13頁
    はじめに
    『日本史誕生』を考える―現在と過去、アジアと日本―

 《「日本人」とは

 私は、いままで「日本人の歴史」とか、「日本人の成立」など

 「日本人」という言葉を何の説明もなしに使ってきた。

 また「日本文化」というう言葉についても説明を加えてこなかった。

 だが、《日本文化の形成》や《日本人の成立》のプロセスなどを問題にする本書では、

 「日本人」や「日本文化」という言葉の意味を、

 あらかじめ少し検討しておくことが必要ではなかろうか。

 まず、日本人という言葉が、もっとも普通に使われているのは、

 「日本国の国籍をもつ人」という意味で使われる場合である。

 パスポートをみると、そこに」japanese と書いてあるのがよい例である。

 だが、このような日本国民という意味での日本人を、

 この本の中では問題にするのではない。

 日本国が生まれるずっと以前から、日本列島にはヒトが住みつづけていたのであり、

 私たちは先史時代にまで遡って、

 そのヒトたちと彼らが生み出した文化の特色について跡づけようとしているのである。

 つぎに「日本人種」というものが存在すると誤解し、

 「日本人」という言葉を存在もしない日本人種のことだと考えている人が意外に多いようである。

 「人種」と「民族」の違いについての、

 詳細な説明は人類学の教科書をみていただくこととし、

 ここではくわしくは述べないが、

 要するに、「人種」というのは顔の形や身体の特徴など生物的な特色によって

 グループ分けされたヒトの集団であり、

 「民族」というのは言語や生活様式などの文化の特色によって

 グループ分けされた人間の集団のことだということができる。

 身体的特徴などからみて、

 日本人がひろい意味でのモンゴロイドの大集団の中に入ることは確かである。

 だが、その中で「日本人」というまとまった人種集団を識別できるほどの特徴はみとめられない、

 というのが自然人類学者たちの共通の意見である。

 日本列島に住む多くの人々は、モンゴロイドの範囲内で、

 モンゴル人や中国人とも似ているし、インドネシア人タイ人とも似た点が少なくない。

 そこでは「日本人種」というような身体的特徴を主とした

 集団のまとまりを見出すことはできないというのである。

 それでは、ここでいう「日本人」というのは、どういう意味で用いられるのだろうか。

 私は、一応つぎのようにルーズに定義して、日本人という語をこの本で用いたいと思っている。

 すなわち、

 「日本人とは日本語を母国語として話し、

  伝統的な日本文化を身につけ、自らを日本人だと思っている人たち」

 だというのである。

 つまり、さきほどの分類でいえば、

 一つの民族集団(エスニック・グループ)として日本人を捉えようというわけである。

 とすると、日本人を日本人たらしめている条件としては、

 自らの意識を除けば、《日本語》と《伝統的な日本文化》の二つを

 少なくとも身につけていることが重要だということになる。

 したがって、

 もし、日本人をこのように定義して、その形成のプロセスを考えるとすると、

 当然のことながら、

 日本語と伝統的な日本文化の形成のプロセスが問題になることは間違いない。

 日本語の形成の問題については、最近いくつかの本も出版され、

 専門の立場からさまざまな仮説が提出されている。

 だが、日本語の起源をめぐってはいまのところ

 言語語学界での意見の一致をみるまでには至っていない。

 しかし、最近の研究によると、北方的な基層語の上に、

 オーストロネシア語やチべット・ビルマ語のような南方的な言葉が流入し、

 さらにその上に、北アジア的なアルタイ系の言語の影響が

 重なって日本語が形成されたという、

 おおよその方向はみとめられるようである。

 その詳細は本書の第5章であらためて述べるが、

 日本語の形成過程は、

 北からの文化の流れ、南からの文化の流れが、日本列島の上でいく度も重なり合う中で、

 数千年以上にもわたってすすんできたものとみて間違いない。

 日本文化についても、やはりアジア大陸の東部を舞台にする大きな文化の動きの中で、

 日本語と同じようなプロセスをへて形成されてきたものと考えられる。

 その詳細は第1章以下でくわしく述べることにし、

 ここでは日本文化のもつ重層構造についてもう少し説明を加えておくことにしたい。

 「写真」尖頭器

     北海道タチカルシュナイ遺跡出土

     遠軽町教育委員会

     磨製石斧

     岩手県滝ノ沢遺跡出土

     北上市教育委員会

  旧石器時代以来、日本列島に住みついた人たちは石を道具として使ってきた。

  槍先に使われた尖頭器、磨き上げられた重厚な石斧

  それらの鋭利な刃先に狩猟・採集民の生活の厳しさが伝えられている。

 「写真」環状列石

     秋田県大湯万座遺跡

     鹿角市教育委員会

  石は道具に使われただけではない。

  縄文人は深い祈りを込めて石を立て、数多くの石を配列した。

  環状列石、配石遺構とよばれるものである。

  この深い祈りは縄文文化の終焉とともに消滅した。

 「写真」ナラ林武蔵野(埼玉県)
    
  東日本のナラ林は縄文文化をはぐくんだ母なる森であり、

  縄文文化を構成する文化要素の中には、

  そのひろがりは北東アジアにもおよんでいる。

  この北東アジアのナラ林帯にルーツをもつものも少なくない。

 「写真」照葉樹林

 東アジアの照葉樹林帯は日本文化のふるさとの一つだといわれている。

 モチや漆や稲作などのほか、

 日本の基層文化を特色づける文化要素の中で、

 長江流域の照葉樹林帯から伝来したものは少なくない。


 ※ブログ掲載者の見解

  「古代日本語の成立過程」については、

古代オリエント・インド・中国・東南アジア等からの流入が主体であり、

  1.シュメル語(ウバイド語・アッカード語)―宗教語・学術語―

  2.ギリシャ語・文化・神話等の日本への移入アショカ仏教宣布団

  3.パーリ語とサンスクリット語―仏教語・梵語―

  4.マレー語と日本語―共通語の実在―

  5.方言、アイヌ語、朝鮮語―神々を復原する

 上記の言語、諸要素が台湾、琉球、屋久島、種子島、鹿児島(薩摩・大隈)を経て、

 奈良、京都等及び朝鮮半島に伝播した。

 日本人のルーツ:『言語復原史学会:加治木義博』保育社「カラーブックス」

 三大おとぎ話(日本誕生の秘密):『言語復原史学会:加治木義博』徳間書店

 詳細は下記の『参考ブログ』を一読してください。
 
 『参考ブログ』

 「歴史徒然」
 「ウワイト(倭人)ウバイド」
 「ネット歴史塾」
 「古代史の画像」
 「ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言」
 「オリエント歴史回廊(遷都)」
 「歴史学講座『創世』うらわ塾」
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」

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