出典:日本の歴史①日本史誕生・佐々木高明著・集英社刊
日本史誕生:51~54頁
第1章 日本列島の旧石器時代
4 細石刃文化の展開
《日本における細石刃文化の発見》
一九五三(昭和二八)年も終わりに近い一二月二八日、
長野県の野辺山高原の一角で、
吹雪をついて三人の考古学者が寒さと闘いながら発掘を行っていた。
その中の一人、
芹沢長介氏は身てついた土の中から青い半透明の石の肌をもつ
みごとな細石核を掘り出すのに成功した。
それは日本における細石器の最初の発見である。
そのときの感動とそれに至る経緯は、
八ヶ岳の南麓の野辺山高原に位置するこの矢出川遺跡は、
その後の調査によって、性格の異なる二つの遺跡から成ることがわかった。
安田喜憲氏のくわしい花粉分析の研究がある。
それによると、氷期にひろく分布していた
トウヒ、ハリモミ、シラビソ、コメツガ、チョウセンゴヨウなどの
亜寒帯針葉樹が少なくなり、
かわって台地上にはハシバミやカンバ類の疎林とヨモギ類、
イネ科の草本を中心とする乾いた草原がひろがり、
矢出川沿いにはイヌコリヤナギ、ハルニレ、ハンノキなどの湿地林があり、
その周辺には湿原が発達していたという。
ハシバミの実が豊かにみのり、草原と湿地が交錯する台地とその周辺には、
シカやイノシシが数多く生息していたと思われる。
当時、気温は現在より三~五度ほど低かったと想定されるが、
細石刃文化をもつ人たちが狩猟・採集の生活を営むには、
この地の自然はなかなか適したものだったと考えられる。
芹沢氏の『日本旧石器時代』(岩波新書)の中にくわしく語られている。
その一つは、黒曜石をおもな石材とした数多くの細石刃と細石核が出土するほか、
少量のナイフ形石器や掻器を出土する細石器時代の遺跡である。
他の一つは、それ以前のナイフ形石器と槍先形尖頭器を主体とし、
細石器をほとんど出土しない遺跡である。
また、問題の細石器が出土する一万三○○○年~一万年前のこの付近の環境については、
安田喜憲氏のくわしい花粉分析の研究がある。
それによると、氷期にひろく分布していた
トウヒ、ハリモミ、シラビソ、コメツガ、チョウセンゴヨウなどの
亜寒帯針葉樹が少なくなり、
かわって台地上にはハシバミやカンバ類の疎林とヨモギ類、
イネ科の草本を中心とする乾いた草原がひろがり、
矢出川沿いにはイヌコリヤナギ、ハルニレ、ハンノキなどの湿地林があり、
その周辺には湿原が発達していたという。
ハシバミの実が豊かにみのり、草原と湿地が交錯する台地とその周辺には、
シカやイノシシが数多く生息していたと思われる。
当時、気温は現在より三~五度ほど低かったと想定されるが、
細石刃文化をもつ人たちが狩猟・採集の生活を営むには、
この地の自然はなかなか適したものだったと考えられる。
ところで、矢出川遺跡で細石器が発見された四年後の一九五七年秋、
新潟県の荒屋遺跡でも細石器が数多く出土することがわかり、
翌五八年の春に芹沢長介氏らにより発掘調査が行われた。
この荒屋遺跡の出土遺物は、
細石刃六七六、クサビ形細石核二四、荒屋型彫器四○一はじめ、
剥片や石屑多数を含め総計二○○○点余に達した。
遺物と同じ地層から出土した木炭片の14C年代は13,200±350 年前だったという。
この遺跡は、信濃川と魚野川の合流点に近い段丘上に位置し、
いまも非常に雪深いところだが、
この荒屋遺跡で発見された細石器文化の内容は、
矢出川遺跡のそれと大へん異なることが注目された。
両遺跡とも細石刃を主体とすることは同じだが、荒屋遺跡の場合には、
石器の組み合わせがより豊富で、
荒屋型とよばれる石器の周縁部を細かく叩いて調整を加えた
特殊な彫器が四○一点も出土している。
それに対し、矢出川遺跡では彫器はほとんどなく、
そのかわりに荒屋では出上しないナイフ形石器が出土している。
また、細石刃をはがしとるための原石に当たる細石核についてみても、
荒屋遺跡のそれはやや大型のクサビ形(舟底形ともいう)細石核が
特徴的であるのに対し、矢出川遺跡では粗割りの礫(母岩)を素材とした
円錐形または角柱状の小型の細石核が用いられていた。
このように二つの遺跡の示す文化は、同じ石刃(器)文化でありながら、
石材や石器の組み合わせ、さらには細石刃技法などの点でも、
まったく相違する異なった文化であることが明らかになった。
しかも、その後の調査によると、
矢出川型の円錐形または角柱状の細石核をもっ細石刃文化は、
関東地方、中部地方南部から近畿・中国・四国地方にひろく分布する。
それに対し、荒屋型のクサピ形細石核をもつ石器群は、中部地方の北半から東北地方、
北海道地方にひろく分布することが明らかになった(図11)。
なかでも北海道地方においては、
このクサビ形細石核をもっ細石刃文化がよく発達していたことがわかってきた。
「写真24」矢出川遺跡
遠くに八ケ岳をのぞむ、海抜1300 -1400 メートルの矢出川をとり囲む段丘上に、
この遺跡はいくつかのグループに分かれて立地している。
安田喜憲氏提供。
「図11」細石刃文化の東と西
晩氷期の日本列島では、東日本にクサビ形細石核に荒屋型彫器を伴う文化が、
西日本には円錐形または角柱状の細石核をもち、
ナイフ形石器の伝統を残す文化が分布していた。
(小田静夫 1979 をもとに一部改変)
「写真25」
A クサビ形細石核石器
新潟県荒尾遺跡出土。
細石刃クサビ形細石核および荒屋型彫器。
B 半円錐形細石核石器
長野県矢出川遺跡出土。
円錐形細石核と細石刃。
明治夫学考古博物館。
「図12」細石核の類型
図13によると、石刃や掻器とともに細石刃、細石核や荒屋型彫器の出土鰍が多く、
図12 によれば、細石核の中ではクサビ形のそれが圧倒的に多い。
「図13」北海道の旧石器時代の石器の組台せ
資料は「北海道のおもな先土器時代の過跡にみられる石器の組合せ」
(木村英明、1985による。)
もとの資科は遺跡ごとに石器の組合せを示しているが全体に集十して図化した。
《参考》
旧石器時代の遺跡一覧
【世界史年表1】宇宙誕生から紀元前まで
『参考ブログ』
「歴史徒然」
「ウワイト(倭人)ウバイド」
「ネット歴史塾」
「古代史の画像」
「ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言」
「オリエント歴史回廊(遷都)」
「歴史学講座『創世』うらわ塾」
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
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