出典:日本の歴史①日本史誕生・佐々木高明著・集英社刊
日本史誕生:41~44頁
第1章 日本列島の旧石器時代
3 ナイフ形石器文化の時代―その生活文化を考える
《関東ローム層に歴史をよむ》
東京の西郊にひろがる武蔵野台地は
関東ローム層とよばれる特有の赤土の地層で形成されている。
そのローム層のうちもっとも新しい時代(約三万~一万年前)に
堆積したのが立川ローム層だが、
国際基督教大学の敷地内で発見された野川遺跡は、
この立川ローム層で構成されていた。
一九七○ (昭和四五)年に行われた本格的な発掘では、
従来二メートル程度とされていた立川ローム層の厚さが
四メートルあまりにも達することがわかった。
私のつとめる国立民族学博物館の同僚小山修三氏は、
一〇数年前に、小田静夫、小林達雄氏らとともにこの野川遺跡の発掘に携わった一人だが、
「ローム層の上層からは、
尖頭器やナイフ形石器が出てきたが、
掘っても掘っても遺物が出てきて大へんでした」
と当時を語ってくれた。
とにかく、その発掘調査の結果、立川ローム層には、
図4に示したような一三の自然層と一○の文化層のあることが確認された。
その中には黒色帯どよばれる黒土層があり、
その腐植質の14C年代測定
(生物の体内に少量存在する放射性炭素14Cは、
生物の死後規則的に減少する。その減少量によって年代を測定する方法)や
花粉分析
(遺跡の土中に残留している化石花粉の割合を検定し、
当時の植生を復元する研究法)などが行われた。
さらに第Vl層にはガラス質に富む薄い火山灰(テフラ)の層がみとめられた。
当時、その火山灰は「丹沢パミス(Tn )」とよばれ、
富士山を給源とする火山灰と考えられていた。
ところが、その中に含まれる火山ガラスや特殊な鉱物(たとえば斜方輝石)
などには特別な特徴があることから、
それを手がかりに、町田洋、新井房夫の両氏がくわしい追跡調査を行った結果、
この火山灰は現在の鹿児島湾奥部を火口原とする
姶良カルデラの大噴出に伴うものであることが明らかになった。
そこで改めて、この火山灰は「姶良Tn 火山灰(AT)」と名づけられたが、
その分布を追跡すると、西日本から東北地方南部、
さらに朝鮮半島から日本海の海底にまでおよぶことが明らかになった(図5)。
また、その中に含まれる有機質の14C年代の測定によって、
この火山灰(テフラ)の大噴出が
二万二〇〇〇~二万一〇〇〇年前ごろであったことも確かめられた。
このような研究の結果、立川ローム層ばかりでなく、
各地の後期旧石器時代の文化層を相互に比較する場合、
このAT 層を時間の指示層として利用することができるようになった。
それによって信頼度の高い年代が得られるようになり、
正確な編年を行うことが可能になったのである。
この始良Tn 火山灰層の発見という画期的な研究成果を
生み出す契機となった野川遺跡では、調査結果を大きくまとめると、
その文化の発展段階は、掻器(エンドスクレーパー)や礫器を中心に
石器組成の単純なV 層までの時期(野川①期)、ナイフ形石器が急激にふえ、
それが利器の中心となった時期(野川②期)、
大型の両面加工の尖頭器や大型石刃などを中心とする時期
(野川③期)に区分されることが明らかになった。
その後、武蔵野台地では西之台、高井戸、鈴木遺跡そのほか多くの遺跡が調査され、
野川遺跡では発見されなかった細石刃の文化が②と③のあいだにあること、
また①の文化の下限は立川ローム層のⅩ層にまでおよぶこと、
その①の文化のはじめのころから縦長の剥片をつくる石刃技法が
存在するとともに刃の一部を磨いた刃部磨研石器(斧形石器)なども
出土することが明らかになった。
このような諸遺跡の調査結果を総合して、
最近では関東ローム層の後期旧石器時代の文化は、
表4に示したように整理されることになった。
月見野遺跡で代表されるような相模野台地の編年も
基本的にはほぼこれと一致するようである。
関東ローム層で明らかにされた旧石器文化の編年は、
日本列島における旧石器文化の編年に一つの基準を与えたということができる。
さきに述べた小林達雄氏らによる三期区分も、
おおまかにいえば武蔵野台地の① ②をあわせてⅡ期とし、
③ ④ をⅢ期としたものとみることができる。
ところで、ここで注目しなければならないのは、
①の時期になって突然、石刃技法が出現することである。
石刃技法というのは、原石に適当な加工を施し、
他の石器の材料になる石刃とよぶ縦長の剥片を
連続的に原石からはぎとってゆく(剥離する)、
大へんすぐれた石器の製作技術である。
それ以前は、原石から不要な部分を打ち欠いて、
原石そのものから石器(石核石器)をつくるか、
原石から石片を一つ二つ打ち欠き、
その剥片を加工して石器(剥片石器)をつくるかであった。
ところが、この石刃技法を使うようになると、
同じ規格の石刃がつぎつぎに多数つくれるようになり、
その石刃(あるいは剥片)を材料にして、
さらに各種の石器がつくられるようになった。
なかでも石刃の鋭い縁辺を刃とし、他の辺に刃つぶしを施したナイフ形石器は、
柄をつけて槍先に用いたり、ものを切り裂く切載具に用いられたようだが、
それは旧石器時代のⅡ期の後半を特色づけるもっとも重要な用具であった。
そのほか、石刃の長い側端に刃をつくり出した削器(サイドスクレーパー)、
石刃の細長い先端に刃をつけた掻器(エンドスクレーパ)、
石刃の角ばった一端から側縁にそって、細長い樋状の剥離を施した彫器、
さらには石刃や剥片の片面あるいは両面を細かく調整剥離し、
先端を尖らした尖頭器(ポイント)など、
石刃技法の開発によって用途に応じたさまざまな石器が、
石刃を素材にしてつくられるようになった。
これらの石器の具体的なつくり方や石器の細かい分類などについては、
この本は考古学の専門書ではないので、詳細な説明は省略する。
くわしく知りたい方は、たとえば
『日本の旧石器』立風書房、一九八〇年(赤沢威・小田静夫・山中一郎、)や
『旧石器の知識』(芹沢長介、東京美術、一九八六年)、
『旧石器人の生活と集団』(稲田孝司編、講談社、一九八八年)などを
参照されるとよい。
「写真13」ナイフ形石器
東京都多摩ニュータウン遺跡出土。
長さ42cm 。
東京都埋蔵文化財センター/安藤洋児氏提供。
「図4」野川遺跡の断面と立川ローム層
野川遺跡は、関東地方の標式的な旧石器文化の遺跡である。
AT火山灰という鍵層が発見され、ナイフ形石器を目安に、
それ以前(Ⅴ層以下)と以後(Ⅳ、Ⅲ層以上)の3つの文化層が、はじめて区分された。
(資料は小田静夫、1983 による)
「図5」姶良Tn 火山灰の分布
姶良カルデラから噴出したこの火山灰は、西日本から東北日本の一部にまで達した。
この火山灰を手がかりにして、遺跡の年代を正確に知ることができるようになった。
姶良カルデラのシラスの堆積
シラス(入戸火砕流)は姶良Tn 火山灰と同時に噴出したもの。
(町田洋、1983 による)
「表4」関東口ーム層
(武蔵野台地)の旧石器文化の編年(主として加藤晋平、1986 による)
「写真14」石刃を素材とする石器
東京都野川遺跡出土
ナイフ形石器、尖頭器、削器、掻器、彫器、いずれも箱根産の黒曜石製。
国際基督教大学考古学研究センター
《参考》
【世界史年表1】宇宙誕生から紀元前まで
『参考ブログ』
「歴史徒然」
「ウワイト(倭人)ウバイド」
「ネット歴史塾」
「古代史の画像」
「ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言」
「オリエント歴史回廊(遷都)」
「歴史学講座『創世』うらわ塾」
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
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