出典:日本の歴史①日本史誕生・佐々木高明著・集英社刊
日本史誕生:29~31頁
第1章 日本列島の旧石器時代
2 氷河時代の世界と日本
さて、私は前の節で、中期更新世とか、旧人や原人、
あるいは前期旧石器時代というような用語を、何の説明もなく用いてきた。
このあたりで一度こうした用語の整理を行い、読者にひろく世界的な視野の中で、
日本の旧石器文化を位置づけていただきたいと思うのである。
《更新世の人類史》
人類が地球上にあらわれたのは、いまから二〇〇万年ほど以前、
あるいは約三〇〇万年前ともいわれている。
地質学の分類でいうと、ちょうど二〇〇万年ほど前から
第四紀の「更新世」とよばれる時代がはじまる。
以前はノアの洪水のような大洪水で堆積物(地層)が形成された時代ということで、
この時代は「洪積世」とよばれていた。
だが、最近では国際的に用いられる
プライストシーンの訳語の「更新世」が用いられるようになった。
この更新世は、後にもう一度説明するが、
陸地の約三分の一が氷河におおわれた時代で「氷河時代」ともよばれ、
それは約一万年前に終わる。
それ以降は、現在の河川の堆積、
つまり沖積作用が行われる時代ということで、「沖積世」とよばれていたが、
最近ではホロシーンの訳語「完新世」が使われるようになった。
いずれにしても、更新世と完新世の二つの時期から成る第四紀は、
人類が出現し、その文化を展開させた時期ということで
「人類紀」ともよばれている。
地球上に最初にあらわれた人類は猿人(アウストラロピテクスの仲間)とよばれ、
主としてアフリカでその遺骨や遺物が発見されている。
脳の容量は現代人の半分以下(五〇〇~六〇〇立方センチ)で、
原始的な礫器を使って八〇~七〇万年前ごろまで生活していたらしい。
この八〇~七〇万年前ごろには猿人とは別の新しい夕イプの人類、
原人(ホモ・エレクトウスの仲間)が地上にあらわれる。
原人の脳容量は約一〇〇〇立方センチにどで、
このころになると形のととのった石器があらわれ、
用途に応じた石器もつくられるようになる。
彼らは火を使用していたことは確かで、
アフリカをはじめヨーロッパ(ハイデルべルク人)、
東南アジア(ジャワ原人)、
中国(北京原人、元謀人など)にまで、その分布がひろがった。
この猿人と原人の生きていた時代が、
「前期旧石器時代」に当たるといわれている。
さらに一五~一〇万年前ごろになると旧人(ネアンデルタール人の仲間)が出現する。
旧人の脳容量は約一二〇〇~一三〇〇立方センチになり、
多くの新しい生活技術が蓄積されるようになった。
たとえば石器では剥片石器が多用されるようになり、
用途の異なる数多くの石器がつくり出されるようになる。
それとともに、生活空間がいっそう拡大し、
東アジアではその分布は北緯四五度付近にまで達し、
ヨーロッパでは彼らの生み出したムスティエ文化の痕跡は
亜寒帯地域にまで達している。
この旧人が活躍していた時代が一般に「中期旧石器時代」とされている。
次に四~三万年前ごろになると、
われわれと同じ種類の人間である新人(クロマニヨン人の仲間)が登場してくる。
脳容量は現代人と臓ぼ同じ(約一五〇ゼロ立方センチ)となった。
彼らは旧人によって生み出された生活技術の上に新しくすぐれた要素を数多く加え、
その文化を発展させた。
この時代が一般に「後期旧石器時代」とよばれている。
とくにアジア大陸の北部に展開した新人は極北地域にまで進出し、
氷河時代の厳しい条件によく耐えて、
その一部はべーリング陸橋をこえて新大陸へ移動していったことも忘れてはならない。
「写真7」化石人類の頭骨とその復元
猿人(アウストラロピテクス)
原人(北京原人)
旧人(ネァンデルター人)
新人(周口店山頂洞人)
国立科学博物館
東京大学総合研究資料館
「表1」先史時代年表(400万年前~現代)
《参考》
【世界史年表1】宇宙誕生から紀元前まで
『参考ブログ』
「歴史徒然」
「ウワイト(倭人)ウバイド」
「ネット歴史塾」
「古代史の画像」
「ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言」
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