2011年9月20日火曜日

ナイフ形石器文化の地域的展開

 出典:日本の歴史①日本史誕生・佐々木高明著・集英社
    日本史誕生:45~47頁
    第1章 日本列島の旧石器時代
    3 ナイフ形石器文化の時代―その生活文化を考える

 《ナイフ形石器文化の地域的展開

 ところで、これらの石器をつくる原材料は、

 どのような石でもよいというわけにはいかない。

 硬くて、しかも細工のしやすい石材を、

 当時の人々はできるだけ身近な河原や崖や丘陵の礫層などの中に求めようとした。

 だが、それでも鋭利な石器をつくるためには、

 黒曜石や珪質頁岩、チャート、 讃岐石(サヌカイト)などの良質の石材が

 強く求められたようである。

 とくに、旧石器時代Ⅱ期の後半以降になると、その傾向が強くなる。

 たとえば武蔵野台地の野川流域の遺跡群では、

 はじめは地元の石材が多く用いられていたが、

 第Ⅵ層(約二万二〇〇〇年前)のころから黒曜石の使用の割合が

 しだいに高くなり(約二〇パーセント)、

 第Ⅲ層(約一万三〇〇〇年前)のころには

 五〇パーセントをこえるに至ったとされている。

 しかも、一九七〇年代以降、理化学的な同定技術の進歩により、

 黒曜石などの原産地が正確に推定できるようになった。

 その分析の結果、野川遺跡では約一万六〇〇〇年前ごろまでは

 箱根産の黒曜石をおもな材料としていたが、

 それ以後は信州の和田峠を原産地とする黒曜石が多く用いられるようになったという。

 武蔵野台地の旧石器時代人が、はるばる信州まで黒曜石を採取に出かけたのか、

 あるいは中継交易により間接的に入手したのかは不明だが、

 当時、すでに二〇〇キロをこえる広域関係圏が成立していたことは間違いない。

 当時の狩人たちは、半径二〇~三〇キロ程度の日常的生活圏と

 それに数倍する広域関係圏を有していたものとみて間違いないであろう。

 ところで、いわゆるナイフ形石器の時代、

 つまり二万年前から一万三〇〇〇年前のころには、

 北海道を除く日本列島では遺跡数が増加し、

 特徴的なナイフ形石器がひろく普及した。

 なかでも東北地方と中部地方北部には

 東山・杉久保型(石刃の基部や先端をわずかに加工したもの)のナイフ形石器が、

 関東地方と中部地方南部にはおもに茂呂型(石刃の両側を加工したもの)のそれが、

 そして近畿地方から瀬戸内地方にかけての西日本には

 国府型(縦長ではなく横長の細歳を素材にしたもの)のナイフ形石器が分布していた(図7 )。

 このことはすでにかなり以前から知られていたが、さらにそれを大きくまとめてみると、

 「石器群の中で掻器あるいは彫器が

 ナイフ形石器と同格に近い位置を占める東北・中部地方北部の文化と、

 ナイフ形石器だけが卓越している関東・中部地方南部以西の文化とに二分されてしまう」

 (稲田孝司、一九八八年)ということができるようである。

 ナイフ形石器文化の後半の時期になって、日本列島においては、

 東は東、西は西というような文化の大きな地域差が形成されてきた。

 おそらく当時の狩人たちの広域関係圏が相互に重なり合い、

 よりひろい共通の文化領域が生み出されたものと思われるのである。

 問題は、このような日本列島に形成された東西二つのナイフ形石器の文化圏が、

 アジア世界の中でどう位置づけられ、日本文化の形成の問題の中で、

 どのような意味をもつかということである。

 だが、残念ながら、このような問題にすぐに答えが用意できるほど、

 資料はととのっていないようである。

 ただし、シベリアや中国など日本周辺地域における石刃石器文化の展開を、

 くわしく跡づけた千葉大学の加藤晋平氏は、その結論として、次のように述べている。

 「東アジアの地域では石刃技術の出現には、北方型と南方型の二つの系統がある。

  北方型(シべリア系―佐々木注)の石刃技術は、

  扇平な石刃石核から石刃を剥がす技術を基盤とし、……

  南方型(華北系―佐々木注)は立方体の石核を利用したものである。

  北海道を除く日本列島では、南方型の石刃技術の出現によって、

  後期旧石器時代が開始された」。

 その後、北海道を除く本州以南の地域には、

 ナイフ形石器を有する石器群がひろがるが、

 AT 火山灰の降下直後の時期には、

 沿海州や朝鮮半島で発見されているのと同じ剥片尖頭器が、

 九州や西日本一帯に流入していることが注目されるようになった。

 「このような事実からすると、(中略)

  日本列島の中にひろがった縦長剥片からつくるナイフ形石器も、

  剥片尖頭器の流入と同様に、華北地域と関連があったと考えられそうである」

 (加藤晋平、一九八八年)というのである。

 日本列島のナイフ形石器のアジアでの位置づけについては、

 現在の知識ではせいぜいこのような程度のこと、

 つまり華北のそれと関係が深いらしいということまでしかいえないようである。

 「図6」黒曜石の産地と運搬経路

 (小野昭 1988により一部改変)

 「図7」ナイフ形石器文化の東と西

  日本列島にけおる東・西文化の対立がこの時期にはじめて現われた。

  それは当時の植生にほぼ対応している。(小田静夫、1986 により一部改変)

 「写真15」ナイフ形石器

  秋田県米ケ森遺跡出土の東山型のナイフ形石器。長さ13 . Zcm。

  協和町教育委員会/至文堂。

  大阪府郡家今城遺跡出土の国府型。長さ53cm。
  
  高槻市教育委員会/至文堂。

 《参考》
 【世界史年表1】宇宙誕生から紀元前まで

 『参考ブログ』

 「歴史徒然」
 「ウワイト(倭人)ウバイド」
 「ネット歴史塾」
 「古代史の画像」
 「ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言」
 「オリエント歴史回廊(遷都)」
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