2011年9月12日月曜日

最古の狩人たち

 出典:日本の歴史①日本史誕生・佐々木高明著・集英社
    日本史誕生:26~28頁
    第1章 日本列島の旧石器時代
    1 旧石器文化の探求―縄文以前にさかのぼる

 《最古の狩人たち

 ところで、岩宿の発見以後、約四〇年、

 つぎつぎと旧石器文化の遺跡が発見されてきたことはすでに述べたが、

 それでは日本列島におけるもっとも古い文化の痕跡はいつごろまでさかのぼれるのだろうか。

 一九七〇年代の後半から八〇年代にかけ、宮城県北西部の江合川流域

 座散乱木、馬場壇A、中峰Cなどの諸遺跡が発掘され、

 この問題の解決に大きな前進がみられた。

 一九八三(昭和五八)年に宮城県教育委員会が

 発掘した中峰C遺跡では、地下三・五メートルほどのところに

 厚さ約五〇センチほどの軽石層(Ⅵ層)があり、

 その年代を測定したところ、約一四万年前といら結果が出た。

 さらに、その下約一メートルほどのところにあるⅦ層からは、

 合計一〇六点の石器が数カ所からまとまって発見された。

 玉髄や碧玉などを材料とした小型の剥片石器と

 安山岩などでつくられた大型の粗雑な石器とがある。

 これらの旧石器とその示す文化の年代や生格については、

 少なくとも一四万年前よりかなり以前の、

 一説には二〇万年ほど前の文化の痕跡を示すのではないかといわれているが、

 くわしいことはまだよくわかっていない。

 しかし、この石器群は、次に述べる馬場壇A遺跡のそれとともに、

 いまのところ日本で発見された最古の石器群であることは間違いない。

 さて、馬場壇A遺跡というのは江合川左岸の丘陵上にある遺跡で、

 一九八〇年に崖の斜面の白い粘土層の下から石器が二〇点ほど採集された。

 この白い粘度層は約五万年前の火山灰層だとわかったので、

 馬場壇A遺跡は江合川流域における最古の遺跡として注目されるようになった。

 そこで一九八四年から

 東北歴史資料館と地元有志の人たちの石器文化談話会が

 共同で発掘することになり、大きな成果をあげている。

 発掘しはじめてみると、

 深さ六メートルほどの地層の中に

 火山灰や軽石などで溝成された火山噴出物の層がみとめられた。

 考古学者たちはこれらの火山噴出物の層を鍵層として、

 この遺跡では三三層もの文化層を区別している。

 その中で注目されるのは、約一三万年前に噴出したと考えられる

 一迫軽石層のすぐ下にある第二〇層である。

 発掘者の岡村道雄氏によると、軽石層をとり除くと、

 凹凸のある当時の地表面があらわれた。

 発掘区のほぼ中央には浅い沢があり、

 その凹地をとり囲むように五~六カ所からまとまって石器が出上した。

 石器は玉髄や碧王などの石材を主とし、小型の石核を用い、

 それを打ち欠いてつくった不定形の剥片石器が多い。

 その特色は、前に述べた中峰C遺跡の最下層のものと共通するといわれている。

 また、石器がまとまって出土した場所の残留磁気を測定したところ、

 非常に強い磁力を帯びた場所が見っかり、

 そこがたき火跡であることが明らかになった。

 さらに、他の場所から出土した石器や

 その周辺の土の中に残されていた微量の脂肪酸を

 帯広畜産大学中野益男氏が分析したところ、

 ナウマンゾウオオツノジカの脂肪が石器に付着し、

 土にも滲み込んでいることがわかった。

 脂肪酸分析というのは、最近に開発された研究法の一つで、

 動物の種ごとに脂肪酸の組成が異なるという原理を応用し、

 石器や土器などに付着していた脂肪を精密機器を用いて分析し、

 その脂肪酸の組成を明らかにして、

 動物の種類を決めようというものである。

 馬場壇A遺跡の石器などに付着していた脂肪酸は、

 はじめイノシシのものに近いとされていたが、

 北海道広尾郡忠類村で出土したナウマンゾウの遺体に残留していた脂肪酸との比較から、

 ナウマンゾウのものと決定されたという。

 さらに、この遺跡で発見された石器の中には、脂肪酸が付着していただけでなく、

 動物の角や骨、あるいは皮や肉を加工・調理したときのものと思われる

 磨耗のあとや光沢(これらは一般に「使用痕」とよばれる)が

 みとめられるものが少なくない。

 石器の一つ一つが狩猟生活を営むための大切な道具として

 使われていたことがわかるのである。

 また、前にも述べたように、この馬場壇A遺跡の第二〇層では、

 石器の集中的な出土地点が数カ所半円形に並んでいる。

 その出土地点は、

 それぞれ五人前後の小集団がたき火を囲んで

 短期間の生活を送ったあとだろうと岡村道雄氏は推定している。

 彼らは、おそらくナウマンゾウやオオツノジカなどの大型獣を

 湿地や崖下などへ追い込んで捕獲したり、他の小動物を捕らえ、

 その解体や調理を共同で行った最古の狩人たちだったと考えられるのである。

 「図1」江合川流域とその周辺のおもな旧石器時代遺跡

 「写真5」馬場壇A遺跡の発掘風景

 白い火山灰層の下から旧石器がまとまって出土した。

 いまのところ、わが国で最古の遺跡の一つである。

 出土した小型の旧石器。

 東北歴史資科館

 「写真6」ナウマンゾウの復元骨格

 北海道広尾郡忠類村出土

 体長3.6m 、体高24m。

 ナウマンゾウは、

 華北から日本列島にかけてひろく分布していた黄上動物群を代表する。

 北海道開拓記念館

 《参考》
 【世界史年表1】宇宙誕生から紀元前まで

 『参考ブログ』

 「歴史徒然」
 「ウワイト(倭人)ウバイド」
 「ネット歴史塾」
 「古代史の画像」
 「ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言」
 「オリエント歴史回廊(遷都)」
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